おはようございます。南生駒の看板屋 アド ブリッジの北村です。
本日は、震災の話。
今年の1月16日から1月21日まで、宮城県仙台市でボランティア活動を行いました。
なぜ?宮城県か?親戚がいるからです。(宿泊費を浮かすためです。)
旅費を浮かす為、夜行バスにて出発。(片道12時間 約900kmの旅)
梅田から京都を経由し、日本海側からのルートを通り仙台まで。
翌朝8時に到着。(睡眠はできましたが、身体が痛くて泣きそうになりました)
親戚のおじさんに駅前まで迎えに来てもらい。一旦おじさんの家へ。
何年かぶりの大雪だったらしく、道路は真っ白。
家についてから、ボランティアの情報収集をし、近くで事前登録なしの当日からボランティアできる所を発見し、早速連絡。
「翌朝8時ごろに来て下さい」との事。必要な物(長靴・軍手・カッパなど)を準備し就寝。
翌朝、荷物を持ち集合場所へ。
場所は、宮城県仙台市宮城野区岡田にある仙台津波復興支援センター(旧岡田サテライト)http://flat.kahoku.co.jp/u/volunteer16/qNYRWX2D1Bhga5KEJ9mo
挨拶を交わし、ミーティングをし、現場へ。
ボランティアの内容は、畑の掘り起こし作業(この場所は海から約2km、津波の被害で田畑は塩害になっている為、除塩作業がおこなわれている地域です)や、水路の修復、ビニールハウスの修繕など。
本日の仕事内容は、午前中は新規ビニールハウスの設置、午後からは花壇?の修復作業でした。
雪が降る中での雪かき(結構楽しかったです)、花壇?設置の穴堀や木材の切断など怪我しない程度で頑張りました。
一緒に同行していたボランティアの方と話をし、衝撃の事実が・・・。
その2に続く。(写真だけアップします)
↑花壇?の修理中です。
↓津波被害の為、危険地域に指定。(窓ガラスも割れ、誰も住んでいませんでした。)